@article{oai:shizuoka.repo.nii.ac.jp:00000549, author = {Hamauzu, Shinji}, issue = {1}, journal = {Studies in humanities}, month = {Jul}, note = {application/pdf, 1927年の『存在と時間』の刊行以来、ますます「現象学」という語を使わなくなっていったハイデガーは、1963年の回想「現象学へ入って行った私の道」のなかで、現象学という表題が消え去ったとしても「思索の可能性」としての現象学は保持されると述べていた。それから10年後、1973年の「ツェーリンゲン・ゼミナール」でのハイデガーは、この「可能性としての現象学」を「顕現せざるものの現象学(Phanomenologie des Unscheinbaren)」と呼んだ。もちろん、それはあくまでも後期ハイデガー流に解された限りでの現象学であり、「現象するものに現象することを可能にしながら、自らは現象しないもの」つまり「存在」の思索のことにほかならなかっただろう。いまここでは、ハイデガーの「顕現せざるものの現象学」というアイデアを汲みつつも、それを彼にしたがうのではなく、むしろメルロ=ポンティ晩年の遺稿『見えるものと見えないもの』における「見えないもの(l'invisible)」に結び付け、そしてそのアイデアをフッサール現象学からの離反ではなく、むしろ正統な継承として、それゆえ、フッサールを改めてこの「見えないものの現象学」の創始者として位置づけなおすことを試みたいと思う。現象学とは、現象についての学だから、現象しないもの・見えないものの現象学など形容矛盾と思われるかも知れないが、実はそうではなく、そこにこそ、現象学の新しい可能性があることを示すことができれば、と思うのである。}, pages = {A1--A15}, title = {Zur Phanomenologie des Unsichtbaren : Husserl und Heidegger}, volume = {52}, year = {2001} }